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血不足
「お腹、空いた……」
思わず呟いた一言に、こちらへ背を向けて眠っていた彼女がゆるりと振り向いた。
そして、何も言わずに着ているシャツをたくしあげ、首を傾げる。
しまった。
そう思うけれど、言葉を無かったことには出来ない。
なーんてね、と誤魔化すこともできたかもしれない。けれど、驚いてしまい、それどころではなかったのだ。
お腹が空いた。
なんでもないことのようにそう言ってしまった、自分自身の油断に、とても。
「……要らないの?」
そう問いかけてくる彼女の瞳が軽く揺れる。おそらくここで断れば、彼女の自尊感情の低下を招くだろう。
もう私は要らないの、と。
「欲しいよ」
だから、そう答えて笑んだ。
はたはたとカーテンが揺れる。暑さの残る秋の夜だ。室内に舞い込んでくる風は、柔らかく冷たい。
身を縮めるようにして、彼女の胸元へ滑り降りた。柔らかな皮膚にそっと口づけて、それから一気に牙を突き立てる。
震える体。いつもは抱きしめるけれど、今は体勢的に上手く出来ない。
だからだろうか。彼女は不意に僕の首の下へ右腕を通し、左腕で背中を抱き寄せてきた。
縮まる距離。吸血しやすくなり、ごくりと喉が動いてしまう。
「ぅう……」
小さく上がった呻き声に宥めることも忘れて吸い続けた。
腹が満たされるまで飲み下し、唇を離す。小さく溢れた血液を舌で拭い、それから彼女を見上げた。
「マリ、」
「……お腹、」
「うん」
「いっぱいになった?」
「うん、なった。ありがとう」
「なら、いい……」
そう呟いて眠りに落ちようとする彼女は、けれど腕の力を緩めてくれない。
「マリ?」
「イバラ、小さい子どもになったみたい……」
ぎゅうと頭を抱きしめられる。
それは確かに安心する温かさで、思わず右腕を伸ばして抱きついた。
「じゃあ、頭撫でて?」
「いいよ」
血を失ってだるいだろうに、彼女は左手で髪を梳いてくれる。
その感触に、泣きたくなった。
「……イバラ?」
返事の代わりに、その胸元へ顔を埋める。ことり、ことりと穏やかな心臓の音がした。それは、自分が奪う命の音だ。
冬へ向かって歩き始めた季節。僕らはこうして体温を分け合い、生きていく。
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