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「ねえ、今日だけで良いから俺じゃなくて僕って言ってみて?」
突然の恋人からのお願いを断る理由は特に無かった。
俺…訂正、僕は、いいよと頷いた後、一応聞いてみる。
「なんで?」
「だって、俺より僕の方が似合いそうなんだもん」
「ふうん」
高校まで、趣味の延長みたいな感じでバスケ一筋で生きてきた僕は、いわゆる大学デビューした部類に入ると思う。
お洒落とはいえないけれどださくもない服を着て、髪を整えて、積極的に話しをする。そうして無事彼女をゲットした僕は、けれど根本が変わった訳では無かった。
一人称に大したこだわりの無かった俺…僕は、彼女の可愛いワガママに付き合うことにした。
そしてふられた。
バレンタインの三日前のことだった。
*
「あっはははははは!」
「笑い事じゃないですよ。せっかく今年は親戚でもなく義理でもない本命チョコってやつを貰えると思ってたのに」
「うっははははは!俺の分けてやっから元気出せって」
「店長宛てのチョコは変な薬とか混ざってそうで嫌です」
素直に言ったら頭をはたかれた。ひどい。
「で、なんでふられたんだよ?」
「最後は”俺じゃなくて僕って言って”だったんですけど、そういう彼女のワガママを全部聞いてたんですよ」
「ほう」
「そしたら、”あなたみたいなナヨナヨした人は嫌いなの、自分の意見をしっかり持ってる芯のある人がいい!”って言われて唐突に別れ話をされました」
「へえ」
クローズ作業は無事に終わった。煙草をすぱすぱ吸いながら事務処理をする店長の横で、僕は机にびろんと伸びる。何がいけなかったんだろうなー。
今年も恋人からのチョコレートというやつが貰えない事実が、地味にへこむ。物心ついてから連敗記録を更新中の僕は、よくもまあというくらいもてる男を横目でちらり見上げた。
そんな視線…というか、野郎からの視線などものともしない店長は、手元の書類に目を落としたまま、ぽつりと僕に問いかけてくる。
「ちなみにお前はなんでモトカノのオネガイとやらをいちいち聞いてたんだ?」
「嫌だと思わなかったからですよ。僕の主義に反することだったら嫌なので絶対断りますけど、さっき言ったような可愛いレベルのものばっかりだったから」
「ふぅん。じゃーモトカノから別れ話された時に承諾したのも、嫌じゃなかったからだろ?お前の気持ちはその程度だったってことだよ。別れて正解」
「な!」
「うっわーツバサ君てばヒドイ男。サイテー!」
「ううっ」
地味に痛い所を突かれた。
彼女から別れ話をされた時、確かに僕は嫌だと思わなかった。彼女がそう思うなら仕方ないかな、と思って承諾した訳で、つまり店長の言う通りその程度の気持ちだったのだろう。
ごめんなさい…と呟いてへこむ僕の隣で、再度笑い声が発生した。
「ぶっははは!何へこんでんだよお前!馬っ鹿だなーモトカノだって見る目無かったってことだろ?」
「良いんですー僕が悪いんですー」
「やさぐれるな辛気臭ぇ。カビ生えるからあっち行け」
「じーめじーめ」
「そのモトカノの言い分を要約すると、自分の意見を曲げない頑固な男が好きってことだろ?面倒だぞーそういうのと付き合うの。何をオネガイしたって言うこと聞いてくれねぇんだからな」
「ソウデスネー」
「で、自分勝手な男ってレッテル貼られてふられるな」
「…まあ、確かに」
どちらの方が良いかと問われれば、どちらも嫌である。理不尽だ。
まあでも、何がどう転ぼうと僕と彼女は別れていただろう。それが早いか遅いかの違いだ、と無理矢理納得した。
「ま、俺はお前もしっかり頑固だと思うがな。モトカノ風に言えば、芯が通ってるってか?ははっ」
「…良いですよ慰めなくて」
「野郎を慰める趣味はねぇよ。自分の主義主張に反しない限り彼女の可愛いオネガイを叶えてやるってスタンスだって、じゅーぶん筋通ってるじゃねーか」
それに気付かなかったモトカノの視野が狭いってこと。
囁くようにそう言った店長は、ばきばきに固まっているであろう肩をぶんぶん回して腕をまくった。
「ほれ、ガキは帰れ。補導されっぞ」
「されないですよ!もう十九です!」
「へいへい、吠えるな。バレンタインはちゃーんとチョコやっから今日は大人しく寝な」
「い ら な い で す !」
きゃんきゃん吠える子犬を相手するように僕をあしらった店長は、書類へと没頭していった。こうなると何を言っても反応しないから、諦めて帰り支度をする。
念の為にもう一度戸締りを見て、最後に事務所を覗いた。
「あんまり無理しないで下さいねー。…返事がない。ただのしかばいったぁ!」
飛んできたケシゴムが額にクリーンヒットした。くそう。聞こえてるじゃないか。
けれど、これ以上余計なことを言うのも得策ではない。お疲れ様でしたと挨拶した僕は、きりきりと冷えた空気の中へと飛び出していった。
*
街がピンク色に染まる、バレンタイン当日。
店長は言った通り、僕にチョコを用意してくれていた。
正確に言うと、チョコレート風味の葉巻、だ。
未成年に良いのかと思ったけれど、二十歳で煙草卒業する奴だっていんだぞと凄まれて大人しく貰っておいた。
葉巻なんて扱いが分からなくて、恒例のクローズ後の事務所でを吸い方を教わる。そうして吸い込んだ煙は、ほんの少しだけ僕を大人にしてくれた気がした。
「げほっげほっ」
でもね。
お酒と煙草は二十歳になってから!
(店長が用意したのは、プロムナードです)
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