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寄せては返して。
彼方から此方へ。
耳鳴りのように、迫る大きな壁のように、波は通り過ぎていく。
午前三時
「想い出を守っていたいんだ。でも、古いものが降り積もって重なっていくほど、身動きがとれなくなる気がする」
「俺の部屋と同じだね。捨てられない本のせいで、もの凄く狭くなったよ」
茶化すようでいて、核心を突く比喩。
「どうしてだ?何かを捨てないと、前へ進めない気がする」
「そりゃそうでしょ。よく言うじゃない、何かを得る為には何かを失わなければいけない。お前の未来を得る為の糧が、過去の想い出だったって事さ」
意味もなく毛布を引っぱり出して、それにくるまって、海岸に降りる階段に座り込んだ。
「どうして、どうして。俺は忘れたくないんだ」
「忘れなければいいじゃない」
「忘れちまうんだ。何かきっかけが無いと、思い出せなくなるんだ」
「でも、そのきっかけを捨てないと、身動きが出来無くなっちゃうんだね」
きらきら光る町の灯りは、大切にしている想い出のようで。
「だって、俺が憶えていてやらないと。俺の事は、俺が憶えていてやらないと、誰も憶えていてくれないんだから」
「そう?」
一つ一つ消える灯りは、亡くした想い出のようで。
「だって、そうじゃないか。誰だって自分の事に精一杯だ」
「そう、例えば。お前が特に考えずに言った、何でもないような言葉。言われた相手にはそれが凄く重要で、お前が忘れたって憶えている、って事はあるかもしれないね」
ごうごうと耳元で騒ぐ潮風。
「俺が憶えていなければ、俺にとってそれは0でしかないじゃないか」
「うん、悲しいね」
きっと何日か後には、今日のこの夜の静かな輝きも、色褪せてくるのだろう。
例えば、脳が携帯電話のようだったら。
容量を超えた記憶を、何の躊躇いもなく削除していってくれるのに。
例えば、脳がパソコンのようだったら。
古い記憶やあまり思い出さない記憶を圧縮して、必要な時だけ解凍して。
何もかもを、鮮明に保存しておけるのに。
「でも、俺達は機械みたいに利口にも淡泊にもなれない」
「仕方ないよ。お前の言う悲しさとか、痛さとか、そういうのも降り積もって溶かしてどうにかしないといけない」
今のこの言葉も体温も優しさも風の冷たさも音も何もかも。
「身動きが、とれない」
「それでも、先へ進みたいんでしょ?」
きっと何日か後には、色褪せてしまうのだけれど。
返しては寄せて。
此方から彼方へ。
ぽかりと開いた茫漠の穴、滑るように産まれては消える波。
凪がやってくるのは、きっと、呼吸も鼓動も体温も言葉も想い出も。
何もかもを、失った時。
2004.3.24.
(高校時代の先輩とオールした時、海岸を歩きながらこんなこと考えてて全然話聞いてなかったっていうお話)